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松原まこと

文化元年長崎梅ヶ崎事情 6(英国縦断 その1-2)



―――ロイヤル・ネイビ―御用馬車は、海沿いの平坦な農村地帯を抜けて、いつしか起伏に富んだ湖沼地帯に差しかかった。山と水が織りなすその風景は、英国を代表する画家ウィリアム・ターナーが好んで題材にしたお気に入りの場所である。ちょうど前方に樫の老大木が、両腕を挙げて一行を出迎えるかのるように立っていた。それを通り過ぎた時、傍らに立っていた「「ンブリッジへ50マイル)」と記された石造りの道標が続いて通り過ぎた。長らく馬車に揺られて固まった姿勢の向きを変えながら、レザノフは再び口を開いた――

「ケンブリッジでは、大学内に君を案内したい。それまで一つ面白い話をしよう」 「なんでしょう。謎かけですか」 「さあ、どうかな。善六君、“働きアリ”の世界を知ってるだろう。百匹いるとしたら、百匹とも休まずせっせと働いていると思うだろう? 違うんだな、これが。2割に当たる20匹は、働く振りをするだけで、実は大体ぶらぶら遊んでいる。でも、不意に襲来する天敵や自然災害に真っ先に駆けつけるのは彼らだ。つまりレスキュー隊予備軍という訳だ。尚、この2割グループは別の2割グループとも自在に入れ替わり、それを営々と繰り返している。これが働きアリの社会だ」 「とても面白そうな話ですが、ところで団長、何故今ここでこのような話をこの私に?」 「察しがいいね。この話は、英国一の経済学者エレミー・ベンサム博士の知恵袋からの拝借だ。哲学者でもある博士の“最大多数の最大幸福論”は、全欧州に信奉者がいて、我が皇帝閣下もその一人なんだ。フランスびいきの閣下が尊敬する唯一の英国人学者だ。フランス的な博愛精神とは一味違った、英国発功利主義思想の一つ“最大多数の最大幸福の精神”がそこにあるとは思わんか、善六君」 「よくわかりませんが、それより、団長殿、もしかしたらベンサム博士ご当人が、ケンブリッジでまさに我々の到着をお待ちなのでは?」 「善六君、判るか、正解だ!」

ロンドン大学創設に係わったベンサム博士は、当時客員としてケンブリッジに着任していた。一行を乗せた御用馬車は、町の中央を流れるケム川べりに沿ってポプラ並木がどこまでも続く中をゆっくり進む。前方を向いていた軍の添乗員が突然後ろに向き直って、判り易い英語で告げた――「当馬車はトリニティ・ストリートに入りました。かの名君ヘンリー8世国王が創設したトリニティ・カレッジにまもなく到着します。ベンサム教授がホール正面のゲストルームでお待ちです」

「トリニティーTrinity」とは、父なる神、子なる神、聖霊なる神は一体である、という三位一体」のことで、キリスト教信仰の基本教義の一つ。王妃離婚の重要課題を抱える国王ヘンリーの前に、フランス宮廷から送り込まれた侍女アン・ブーリンによってフランスの宗教改革者ジャン・カルバンの存在を知らされ、「そもそも聖書は聖職者のみが所有でき一般信徒が読むものではない」とするローマ教会の極論とは明らかに決別し、自らイングランド国教会Anglican Churchの立ち上げを宣言した。教会の首長である国王ヘンリーは、“聖書が示す最重要教義の一つは三位一体Trinityなり”との信条を込めて大学施設名をTrinity Collageと定めたのである(ケンブリッジ大学ではキングズ・カレッジと並んで最大キャンパス)。

ここで付け加えるべきは、このトリニティ・カレッジの卒業生として最も有名な学者の一人であるかのアイザック・ニュートンのこと。卒業後も同学に残ったニュートンは、教授時代かの名著『プリンキピア』を著して「万有引力の法則」を発表するが(1665年)、同書の中で彼は“究極の体系を生み出した至知・至能の唯一者”の実在を主張し、その唯一者こそ万物の創造主「父なる神」である、と断じる。『プリンキピア』に続いてニュートンは『ダニエル書・ヨハネ黙示録の預言についての研究』(1671年)で彼独自の終末論を試みている。特に興味深いのは、国教会信徒である彼が“三位一体の教義はその昔アレキサンドリアのアタナシオスという大司教が独善的に聖書の中に持ち込んだのがそもそもの誤りである”と云い切っていること。これは同時代の長老アリウスが唱える「イエスは神の被造物であるから神と同一の存在ではない」という、所謂“三位一体否定論”を密かに支持した。そのニュートンの宇宙観を育んだ学び舎の名がトリニティ(三位一体)とは、また皮肉である。尚、ニュートンがこの自説を公式発表するのは、後の物議を予見してか、本人没後の1728年であった。

<つづく> ©松原まこと



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