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松原まこと

文化元年長崎梅ヶ崎事情 6(英国縦断 その1-4)


ケム川の美しいリバーサイド・ビューを右側に眺めながら、馬車はトリニティー・ストリートを移動し始めた。トリニティー・カレッジ・エリア内に点在する聖メアリー教会、トリニティー・カレッジ付属図書館、同付属考古学博物館の前を抜けて、一行が今晩泊まることになっているユニバーシティー・アームズの脇に近付くと、何やら学生たちの歓声や時折洪水のような拍手喝采が聞こえて来る。音声はどうやらそのホテルの向こう側に接するパーカーズ・ピース・スタジアムという大学付属競技場からのようで、その歓声に吸い寄せられるように、レザノフらはスタジアムの観衆のただ中に案内された。


“古代ローマの闘牛場にでも迷い込んだか”などという錯覚に一瞬二人は捉えられた。


―――ここはローマではなく、上空は紛れもないケンブリッジの青い空だ。ピッチの中央でがっぷり組み合っている巨大な人の塊は、猛牛ならぬイエロー・ジャージーのオクスフォード大フォワード8人と純白のジャージーケンブリッジ大フォワード8人の肉弾対決。


両軍一歩も引かない渾身のスクラムが組まれた瞬間だった。双方とも前へのプレッシャーはそのまま地面に突き刺さらんばかりで、地平すれすれの前屈姿勢で横縦に強くバインドしたそのスクラムの内部は外からは見えない。


入ったタマの争奪に足はもつれ、怒号が飛び交う。両軍フォワード陣の呼吸が合うまでスクラムは何度も組み直されるが、その日のケンブリッジ大フォワード第1列中央フッカーは、相手ボールを瞬時の足技でかすめ取り、その鮮やかさにあわてまくったオックスフォード・フォワードのコラプシング(スクラム崩落)を誘った。


サイドにこぼれたタマを即座にケンブリッジ・フッカーが右手のひら一つでむんずと拾い上げてターンオーバー成立。スタンドから「やったぞ、トム!」の声しきり。フッカー“トム”はそのまま目にも止まらぬ速さでゴールラインを駆け抜ける。


ケンブリッジ・スタンドは沸騰した。―――しかしながらその日のケンブリッジ大は、フッカーの1トライ・ゴールのみ。バックス陣の華麗なオープン攻撃力を誇るオックスフォード大に敗れた。


一つの楕円球をめぐって十数名一組の2集団が、厳正なルールの下に奪い合い、一度奪い取ったらゴールまで走り切って勝ち負けを決めるという、世にも不思議な“格闘技”を目の当たりにしたレザノフと善六は、心地よい興奮に浸りながらパーカーズ・ピース・スタジアムを後にし、隣接するユニバーシティー・アームズに向かった。


そこでは一行の添乗員が待機していた。――「ラグビー・フットボールには驚かれたでしょう?」

「あまりの激しさに震えました。あのフッカー“トム君”、眼から血を出してましたね」と善六。

「見てましたか。ラグビーは“蛮性”と“理性”が同居する大衆競技なんです。こんな見世物、貴方がたの国にありますか?」

「楕円球を考え付いたのも英国人?」と今度はレザノフ。

「フランスあたりから伝わったとお思いでしょう。違います。英国純国産です。どっちに弾むか判らない“不確実性”や“意外性”を勝負事にふんだんに取り込んだ訳です」

「結局、“運”が勝負を決めると?」

「いや、運を引き寄せるのも実力の内、と考えるのが、強いラガーの条件なんですよ。まあ、ラグビー談義の続きは、食事をしながらでも・・・・・。今夕は、シー・フードの珍味モンク・フィッシュ・フィレをお楽しみ下さい」


ご当地自慢のアンコウ料理に胃も心も満足したレザノフと善六は、快い疲れに誘(いざな)われるままに、深い眠りに就いた―――。

 

<つづく> ©松原まこと

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